2011年3月27日日曜日

お見舞い?

この週末は、自分の両親がやってきました。こちらは地震があっても特に問題なくやれているとは言っていたのですが、テレビではあんなに大変だ大変だと言っているので心配かけまいとしているのかという思いがあったようで、自分の両親はもちろん祖父母(ゆぅくんのひぃじいちゃん・ひぃばあちゃん)がゆぅくんのことを心配しているらしため、遠路はるばるやって来てくれました。とくにホウレンソウや野菜は、放射線のための出荷制限などでこちらでは手に入らないだろうと思ったのか、山ほど持ってきてくれました(笑)。

写真はゆぅくんと自分の両親(ゆぅくんにとってはじぃちゃん・ばぁちゃん)が散歩に出かけたときのもので、ゆぅくんがママの新しい車を指差してじぃちゃんに教えているところです。土曜の夜はオクさんの実家にもおじゃまして、みんなで夕ご飯を食べました。オクさんのご両親はお寿司までとって大歓迎してくれ、自分の両親もゆぅくんをはじめ皆の笑顔を見て安心してくれたようでした。

2011年3月18日金曜日

一見平常運転ですが

月曜に自分の家に帰ってからすでに5日目ですが、自分の家では一見すると平常運転のようです。今日は、ゆぅくんとオクさんといつものスーパーマーケットに行って、この動画のように自分がゆぅくんを遊ばせている間にオクさんが買い物をするという日常の風景でした。

しかしもちろんそれは一見平常そうなだけで、自分の住んでいる地域でも余震は毎日のようにありますし、自分の会社では今週一杯と来週一杯の自宅待機が決まりました。自分の会社のある地域は自分の家がある地域よりもかなり地震の被害を受けたところで、水曜くらいに電気がようやく復旧し、水は現時点でもまだ出ない状況が続いています。会社の最寄り駅も、写真のような壊滅的な状況だそうです(比較的新しい駅だったのですが)。もちろん電車の運行再開もまだなので、会社の状況も不安なところです。

今日3人で行ったスーパーも、昨日から食品売り場のみ営業再開し、今日ようやく全体が営業していましたが、東電の輪番停電の影響か照明は半分しかついておらず、ついでに商品も棚に半分くらいしかありませんでした。自分の地域では、世間で言われているような水や米などの不安はあまり無いのですが(それでも牛乳や肉類は手に入らなかったり不便はあります)、ガソリンについては言われているとおり、かなり手に入りづらくなっています。月曜にオクさんの実家から自分の家に帰ってくるとき、ガソリンスタンドは長蛇の列になっていましたし、自分の最寄駅前で駐車していた乗用車の燃料タンクがこじ開けられガソリンが抜き取られるという事件も耳に入ってきました。自分の車も3分の2くらい燃料が入っている状態だったので、無理に満タンにしないことにしました。ガソリンだけでなく食料もそうですが、平常運転の生活ができる人はできるだけ買い占めに走らずいつもどおりの消費生活を行なうことが、ひいては被災地への援助にもなるはずです。

福島原発の状況も気になりますが、家族3人力を合わせて(といっても、平常運転に近い穏やかモードで、自分としては仕事をしない分ヒマを持て余している感もありますが)頑張っています。

2011年3月14日月曜日

やっと帰れた

会社の事務所で一晩過ごしたのですが、翌日(おととい)も電車が自分の家の方まで動く気配がありません。このままでは本当に帰宅難民になってしまいそうです。自分の部署の人で、たまたま別件で出張に来ていて自分と同じように一晩過ごした2人に、さらに別の出張先から東京の事務所に帰ってきた人と合わせて4人で、このままでは電車も動きそうにないので、レンタカーを借りれないかを探すことにしました。でも同じようなことを考えている人はたくさんいて、事務所にいた別の人はもう都内にはレンタカーが残っていないというような話をしていたので、かなり望み薄です。

しかーし、不幸中の幸いか同じビルの地下1階のレンタカーショップに1台だけ、たまたま戻ってきたのがありました。レンタカー探しと電話交渉は自分がやったのですが、先方いわく「洗車をしていない+ガソリンが半分くらいしか残っていない」という条件です。「洗車なし」はどうでもよいですが、ガソリン半分は結構リスキーです。というのも、そのレンタカーショップの人が言うには、都内のガソリンスタンドはもうほとんどガソリンが完売してしまって残っていないそうなのです。帰り道は高速道路も不通なので、下の道で渋滞などを見込むと10時間かかるか20時間かかるか分かりません。その道すがらも、ガソリンが残っている希望はほとんどなさそうです。

そこで自分達は、まず近くの首都高入口から帰り道とは逆方向に走り出しました。つまり、震災方面と逆方向でガソリンを入れられるところまで走り、そこで給油した後に再び震災方面へ向かうというものです。横浜の方まで行かないとガソリンは残っていないと思ったのですが、羽田空港近くの小さいガソリンスタンドで入れることができました。たまたま、4人のうち1人が羽田空港の周辺地理に詳しかったのでこのスタンドを覚えていたというクリーンヒットです。

その後はもと来た道を戻るのですが、首都高は何故か非常にすいていました。この先はもう不通だというところまで何の渋滞もなくスイスイ行きました。ただ、もちろん高速を下りてからはかなりの渋滞です。震災地は水不足だというので、同乗の3人は道中で水を買い込んでいました。オクさんの携帯に電話したときに出たお義父さんに事前に確認したときは、水は大丈夫と言っていたので、自分は買わなかったのですが、実は自分のところも水道は止まっていて近くの井戸水が汲めるから大丈夫という意味だったそうで、本来は自分も買っておいたほうがよかったかもですが、あとの3人は自分よりももっと北で震災地に近いので、一番被害が軽い自分が遠慮した形で、結果オーライですかね(やや言い訳?)。

自分の家の方には途中までは電車で行くことができるので、そこまで電車で行ってあとは国道をひたすら歩くという選択をした人たちが、国道わきをずっと行列していました。ちょっと間違えば自分もその一員だったはずです(電車で行ける最終地点から自分の家は約20キロなので、そうであれば5~6時間歩くことになりそうでした。。。)が、渋滞で進まないのは仕方ないですがラッキーなことに車で行けたのでまだマシでした。結局、自分の家に着いたのは夜も9時でした。昼の1時半頃に都内の事務所を出たので、足掛け7時間半で到着できました。あとの3人はまだそこから、スイスイ走れるときでも1時間半という道のりなので、結局何時に着いたのか。。。自分はオクさんとゆぅくんが泊まっている、お義父さん・お義母さんのところに合流させてもらい、水道が復旧するまで2泊させてもらって今日ようやく自分の家で一家団欒となりました。

2011年3月12日土曜日

無事です!

昨日の地震は、すごかったですね。自分はちょうど東京方面へ出張中、駅のホームにいたのですが、止まっている電車もすごく揺れていましたし、ホームの天井が落ちてくるかと思ったほどでした。ただ、ゆれ幅は大きかったもののスピードはそれほどではなかったので、余震があった時も自分としてはまだ楽観視していました。駅のホームは危ないので外に出るよう放送がありしばらく周辺をぶらぶらしていたのですが、昼間の暖かさが嘘のようにだんだん寒くなってきたので、電車の復旧の見込みも立たなそうだったので、会社の東京の事務所まで歩くことにしました。ただ、オクさんには何度電話しても繋がらず、オクさんとゆぅくんが無事にしているのかどうかかなり心配です。時間的には2人はちょうど散歩中だったはずなのですが、電話もメールもダメでした。自分の父親からは電話がかかってきたので、とりあえず自分1人は無事だということを伝えました。

途中の道路はコンビニも携帯ショップも人があふれていて、食べ物屋は結構閉めている店も多かったです。東京事務所に着いても、エレベーターやエスカレーターも止まっているので、1階のロビーで寒さをしのいでいる人達を尻目に自分は事務所のある20階まで階段を登りました。そこで今回の地震が千年に1回というような歴史的な規模だったことを知りました。またオクさんに電話やメールをしてみましたがやはり通じず、夜10時ごろ事務所の固定電話からオクさんの実家に電話することでようやく通じました。実は、その少し前にオクさんの実家からお義父さん・お義父さんの田舎を経由して、自分の実家に2人の無事を知らせてもらっていたのですが、やはり直接声を聞けてようやく安心です。

結局、事務所で一晩過ごし7時ごろから一部の電車は動き始めましたが、残念ながら自分の家の方まで行く電車は復旧せず。しかたなく、いまだ事務所に缶詰状態です。オクさんから聞いたところでは、家はとりあえず無事だけど冷蔵庫などが動いてしまって外壁にもひびが入っているとのことでしたが、テレビの特番からずっと流れてくる各地の被害状況を見れば、オクさんもゆぅくんもオクさんのご両親や義兄家族・自分の家族も無事だったので充分です。

2011年3月6日日曜日

家族旅行(その2)

旅行2日目は、朝食を食べてチェックアウトした後、民宿の近くの朝市に行って干物などオクさんの実家やお義兄さんのところへのお土産を買いました。その後は、少し観光などしたり近くの公園で遊んだり海を見たり、のーんびり旅行を楽しみました。

その観光地の中、美術館などがある比較的新しい通り沿いで魚料理を食べられるお店を見つけ昼食を取りましたが、はっきり言って昨日の民宿の夕食よりも豪華な昼食になりました。自分は海鮮丼・オクさんは刺身定食でしたが、ともに食べきれないほどのボリュームと内容も豪華でした。昨日の夕食はゆぅくんがオクさんのご飯をほとんど食べたので、今回はゆぅくんに一品の煮魚を注文したのですが、とてもとてもボリューム満点で、折り詰めして持ち帰らせてもらいました。

金曜の夜に思い立って土日に旅行に出ましたが、トータル的には十分満足できる旅行だったと思います。

後記: 写真のあたりはその1週間後の東関東大震災で大打撃を受けた地域で、この綺麗な海の眺めや美味しい魚は今度はいつ味わえるか分かりません。いち早い復興を目指して、日本全体が一丸となって頑張っていきましょう。

家族旅行(その1)

自分の再検査もやっと終わってお疲れ様会というわけでもないのですが、週末は家族3人だけで近場の旅行に行ってきました。近くで海の幸が美味しいところ・できれば温泉という条件で、金曜の夜に探して、民宿に毛が生えたような(失礼!)ところで比較的リーズナブルなところが見つかったので、土曜の昼過ぎくらいに出て夕方に着くという行程で行ってきました。

初日は特にどこにも寄らずでしたが、温泉は貸切状態だし(オクさんいわく女性はそうでもなかったそうです)、夕食も刺身や焼き魚などお腹いっぱいになりました。ゆぅくんは幼児ということで1人前は注文しなかったのですが、オクさんの焼き魚をほとんど食べていました。

海も近いのですが山も近く、この時期は花粉症に悩む自分とオクさんには少しツライ場所だったのですが、温泉も料理も満足でした。

2011年3月4日金曜日

再検査当日

今日は朝9時すぎから自分の再検査当日ということで、先月人間ドックを受けた病院まで電車に乗って行ってきました。実はこの病院、結婚前はよく利用していた総合病院なのですが、結婚後に引っ越してからはまったく行っておらず、先月の人間ドックも離れの建物だったので気づかなかったのですが、知らぬ間にすごく綺麗に改装されていました。

再検査の注腸検査は、最初に腸の動きを止めるための注射を打ち、そのままお尻から管を入れられてバリウムと空気が入れられます。でもって、胃の検査と同じように台の上でくるくる回らされるのですが、回っている間もバリウムと空気が入れられ、さらにお腹を押されたりするので、最初のうちは平気でしたが、最後のほうは結構苦しかったです。

検査自体は30分ほどで終え、最後にバリウムと空気が抜かれるのですが、腸の動きが止まっているのでその場で全部は抜け切らず、夕方くらいまでお腹の張った気持ち悪い感じが続きました。人間ドックの潜血反応で今回の再検査を受けましたが、どうも再検査でポリープなどの問題が見つかるのは10分の1くらいの割合だそうで、別段深刻な状況ではなさそうです。

昨日に続いて今日も休みは取ってあったので、帰ってからはまたゆぅくん・オクさんと一緒に、今度は遅めのご飯も外に食べに行き、そのまま公園で遊びました。昨日ほどは寒くなかったですが、やっぱり風は強くゆぅくんの髪型も写真のようになっています。

2011年3月3日木曜日

再検査前日

実は、自分は2月の人間ドックのとき便潜血反応というのが陽性に出てしまい、再検査することになったのですが、それが明日に予定されています。再検査は注腸検査という、お尻からバリウムを入れてX線写真をとるというものなので、今日から食事制限と一定の時間で下剤を飲んだりしなくてはならず、自分は前日の今日と検査本番の明日の2日間会社を休みました。

お昼は薬を飲んだりする必要も無かったので、ゆぅくんとオクさんと3人で、近所の公園まで遊びに行ってきました。ゆぅくんは、ここ数日は風邪気味で鼻水が出ていたのとあまり天気がよくなかったので、久しぶりの外遊びだったので写真のようにボールを持ってご機嫌で遊びました。他にも、滑り台を滑ったりカモにエサをあげたりしましたが、この時期にしては風邪が強く寒かったので、風邪が悪化しては元も子もないと、短い時間で帰ってきました。

ちなみに自分の今日の食事は、朝昼はおかゆ・夜はスープのみというメニューですが、飲み物にはあまり制限がなくスポーツドリンクは飲んだほうがよく、さらにコーラなんかも大丈夫だそうで、さすがにお腹はすきましたがそれほど大変というのでもなかったです。