2009年8月26日水曜日

仕事帰りに


今日は仕事帰りに車をとばして、オクさんとゆぅくんに会いに行ってきました。会社を6時半には出て、車内バス+電車で家に帰りそこから車なので、オクさんの実家に着いたときは9時前くらいでした。

ゆぅくんは、退院したばかりの頃はミルクを飲む量も40ccくらいでしたが、この日は母乳40cc+粉ミルク40ccの80ccも飲んだらしく、ぐっすりと眠っていました。自分が変える直前の10時ごろには目を覚まし、またオムツとミルクです。写真はそのときのもので、このときは粉ミルクのみ80ccも飲んでいました。自分は仕事もあるので毎日は会えていませんが、3日ぶりにゆぅくんに会うと日に日に成長してるんだなあと感じます。

2009年8月23日日曜日

初体験づくし


20日にオクさんとゆぅくんが退院してから、20日(木)の夜と22日(土)の夜は自分もオクさんの実家に泊めてもらいました。2回の部屋で自分・オクさん・ゆぅくんの3人で寝ているときなど、何ともいえない実感が湧いてきました。

だけどそう暢気なことばかり言って入られません。約3~4時間ごとにミルクなので、夜はなかなか眠れません。昨日は夜12時・3時と朝6時に起きて、おむつ替えとミルク(この作業だけでも30分くらいは掛かります)です。夜だけでなく昼も同じですから、慣れない自分はぐったり。オクさんもまだ慣れたわけでもないと思うのですが、ちゃんと目覚まし時計で起きてはオムツとミルクの作業をしているところを見ると、ありがたいというか感謝でいっぱいです。

21日(金)にはゆぅくんの初沐浴でした。自分が首の据わらない頭と体を左手で支えながら右手で洗っていくのですが、これが市のにんぷっぷ(妊婦+夫)教室で習ったようにはいきません。なにより、人形は動かないですが生身の赤ちゃんは暴れまわります! 自分とオクさん・お義母さんの3人で一騒動でした。沐浴は21日(金)~23日(日)の3日間、自分が主体となってゆぅくんを入れましたが、今日23日はなんとベビーバスから上げてタオルで体を拭いているとオシッコをしてしまいました。あわててもう一度バスに浸けて軽く洗いましたが、上がり湯は片付けてしまっていたのでもう一度上がり湯の温度を調整するところからになってしまいましたが、このオシッコ事件は今年の我が家の「ほのぼの事件簿」当確です。

22日(土)は、自分が初のオムツ替えをしました。オクさんが手を離せなかったため急遽自分がオムツを替えることになったのですが、なんと初オムツ替えがウンチという、基礎問題をすっとばしていきなりの応用問題です。赤ちゃんのウンチは臭くないという人もいますが、それはウソでした。もちろん大人のような臭さはありませんが、それよりも暴れるゆぅくんのお尻を上げてお尻拭きでウンチを全部拭き取るのに必死で臭いなんかそっちのけというのが本当のところでした。

2009年8月21日金曜日

命名「裕翔」


今日は、市役所で出生届と児童手当の手続きをしてきました。名前は「裕翔(ゆうと)」と「拓士(たくと)」の2候補でさんざん迷った挙句、実際に子供の顔を見て「裕翔」にしました。お腹の中にいるときから「ゆぅくん」と呼んでいたので、ある意味、初志貫徹といったところでしょうか。

ちなみに市役所へ行く途中、クルマの6ヶ月点検にディーラーに寄りましたが、自分以外にお客さんが1組で閑古鳥が鳴いているような状態でした。ハイブリッド車全盛の業界で、停車時にエンジンをストップするという非常にオーソドックスな「i-stop」を打ち出しているマ○ダ。ロータリーエンジンやロードスターなど、そのコンセプトや考え方が自動車好きにはたまらないところですが、この大不況のなかハイブリッド車を持たない不利もありますが、なんとか頑張って欲しいものです。

2009年8月20日木曜日

退院!


今日、オクさんと子供が無事に退院しました。帝王切開だったので、10日ぐらいは入院しているものと思っていましたが、産後の経過もよく1週間での退院となりました。

朝9時半にオクさんの実家にお義母さんを迎えにいって、10時すぎには病院に着きました。結果的に12時すぎには病院を後にすることができました。そこからオクさんの実家までの40分間のドライブは、人生でもっとも緊張する運転になったような気がします。できるだけ急発進・急停車をしないようにスピードもゆっくり目で、普段に無いほどの安全運転でした。

そういえばオクさんは、病院で今週月曜日から一人部屋に移っていました。入院時に希望は出してあったのですが、部屋が空いていないとのことでずっと4人部屋だったのですが、なんと1日わずか2,500円で一人部屋に移動できるのです。オクさんは、赤ちゃんが生まれたときも一人部屋だったら来客が沢山あった入院前半も気を使わずにすんだのにと残念がっていましたが、自分的には、オクさんと子供がたとえ4日間でも快適な一人部屋生活ができたんだからヨシとしようといったところです。

2009年8月16日日曜日

生後3日目

今日は1時から面会時間なので、両親が今日帰ることもあって早めに病院に行くことにしました。

後で聞いた話だと、子供は今日の11時くらいからオクさんと同じ病室で過ごしているそうですが、オクさんがまだおっぱいが出ないためか今日は終始ご機嫌斜めでした。写真のように泣いている姿が多く、お腹がすくのかベビー服の袖ごしに指を吸っている仕草が多く見られました。

オクさんはちゃんとおっぱいが出ないことを気に病んでいましたが、まだ産んだばかりなのでもう少し時間が掛かるのかなあというところです。

自分は明日から自分は仕事が始まるので、次の金曜までは病院に行くことができず、寂しいことはもちろんですがオクさんの心のケアが心配なところです。お義母さんは毎日通ってくれると言ってくれていたので、その辺のところも注意してもらえると有難いんだけどなあと思います。

2009年8月15日土曜日

生後2日目

13日に子供が産まれてから嵐のような3日間でした。

まず、14日の昼には自分の両親と妹にもこちらに来てもらい、面会時間の3時以降に赤ちゃんに会いに行きました。すでに義父母も病院に来ており、ガラス越しに赤ちゃんの姿を観察していました。ほどなく義兄家族も到着し、自分と両親・妹に義父母・義兄家族(5人)で合計11人の御一行様となりました。順番に赤ちゃんを抱っこして写真を取るなど、盛り上がりすぎて看護婦さんに注意されるほどでした。でも、それだけ沢山の人が祝福してくれていると思うと幸せな子供だなと思います。

妹は14日に帰りましたが、両親は今日も赤ちゃんに会いに行きました。この日は面会時間中ずっと眠っていて、天使の寝顔をずっと見せてくれていました。生まれた直後よりもずっと赤ちゃんらしい顔つきになっています。

夜はウチの両親と義父母と自分で、ル・タブリエというフレンチのお店で食事会をしました。この店はランチでしか利用したことは無かったのですが、いつもお店で自分たち以外のお客さんに出会ったことがなく、今日も自分たち5人だけが客でした。3,580円くらいのコースでも十分すぎるくらいのボリュームがあり味も決して悪くない(むしろ美味しい)のに、なぜいつもお客さんがいないのか不思議です。

2009年8月13日木曜日

誕 生 !

ついにこの日がやってきました。昨日から今日にかけてのひと騒動について書きたいと思います。

オクさんは昨日の検診からそのまま入院ということになったのですが、昨日はバルーンで子宮口を広げる処置とやはり子宮口を柔らかくするための点滴をしたのですが、とくに変化なし。赤ちゃんも降りてこず、陣痛などはまだまだ先といった感じでした。自分も朝から付き添っていましたが、夜中にも陣痛があったら連絡くれるよう看護婦さんに伝えてから面会時間ぎりぎりの7時で帰宅。

明けて今日は朝9時から、陣痛室で陣痛促進剤の点滴です。入院している病院は昔ながらの総合病院なので、部屋が狭くお隣ともカーテンで仕切られているだけです。お隣の奥さんは陣痛が来ているらしく、苦しそうな声が聞こえてきます。聞こえてくる話からはご主人だけでなくお母さんも一緒らしく、自分やオクさんがトイレに行くために出るのも、カーテンから背中や足がはみ出しているためひと苦労。お隣の話はさておき、ウチのオクさんはというとまず陣痛促進剤を20ml/hで点滴を始めたのですが、少しずつ増やして3時ごろには120ml/hのペースになっていました。その間、赤ちゃんの心拍数とお腹の張り(≒陣痛の強さ)の数値を見ていたのですが、心拍数は100~130程度・お腹の張りも5~30程度(どのくらいの数値が適当か分かりませんが)で、一向に陣痛らしき強い痛みは来ませんでした。

2時過ぎくらいにオクさんが体の向きを変えたとき、事件は起こりました。突然、横腹が痛み出したのです。看護婦さんに来て貰いましたが、陣痛で痛くなる場所とは違っていたので体勢を変えたのが原因だろうと言われました。しかし、30分ほどしても痛みが続いているようなので、もう一度ナースコールをしたところ何か変だというので今度は担当医さんも含めてエコー診断してくれました。すると、痛みがある場所は胎盤の早期剥離がある場合に痛くなる場所に近いというのです。エコー診断では赤ちゃんも元気で胎盤の剥離も見られないので、そのまま明日ももう一日陣痛促進剤で自然分娩にチャレンジするという道もあったのですが、担当医さんからは赤ちゃんがまだ降りてきていないこと・このまま自然分娩はリスクがあることを説明され、帝王切開にすることを提案されました。

昨日のバルーン処置でも相当痛がっていたことだけでなく、何より結婚以来6年も待ち望んだ子供にリスクを犯させるわけには行かないので、自分もオクさんも同意して急遽帝王切開に変更することになりました。

そこからは早かったです。自分は病室の引越し(普通分娩の場合と帝王切開ではその後の処置が違うので、病室も違うのです)をしオクさんは手術準備を行ない、4時半にはストレッチャーに乗せられ手術室へ向かうオクさんを見送っていました。帝王切開になったため急遽お義母さんに来てもらうことにし、お義母さんが待合室に到着したのが5時過ぎ。

そして忘れもしない午後5時15分、看護婦さんが自分とオクさんの赤ちゃんを連れて手術室から戻ってきました。ほんの数秒の対面でしたが、とにかく元気に産まれてきてくれたこと・オクさんも無事でいることに感謝と感動です! 後で聞いてみると、産まれてきたのは2009年8月13日 午後4時59分、体重は3,132gということです。

その後お腹の洗浄などの処置を終えて病室に戻ってきたオクさんは何だか神々しく見え、自分はありがとうを繰り返していました。自分の子供を産んでくれてありがとう、こんなにも頑張ってくれてありがとう、長い間重いお腹を抱えて仕事もできず大変だったけど頑張って乗り越えてくれてありがとう、妊娠期間中ずっと "つわり" で苦しかったけどそれにも耐えてくれてありがとう、プロポーズのときとも結婚式のときとも違う意味でオクさんが愛おしくてたまりませんでした。オクさんがこんなに頑張って産み出してくれた子供を、オクさんと同じように大切に愛していこうと誓いました。

このもっとも長い一日は、自分にもオクさんにもかけがえのないすばらしい一日になりました。

2009年8月11日火曜日

本当の前夜

ついに今日時点でも陣痛が来なかったので、明日の9時に検診を受けた後そのまま入院となりそうです。今晩は本当の意味での決戦前夜です。

検診で自然分娩か帝王切開かの方向性が決まると思うので、両方の親からもすぐ連絡するように言われています。これまでウチの親の方は干渉が少なかったのですが、さすがに初孫なので出産にも立ち会いたそうでした。沢山の人に病院に来られても大変なので、検診後にもう一度連絡してあさっての新幹線で来て貰おうかと思っています。

写真は、今日時点=出産前最後の日 のオクさんのお腹です。少し分かりにくいですが、以前と比べてトップの位置が若干下がってきたような気もします。

これまで10ヶ月以上オクさんと一心同体だった我が子に明日・あさって会えると思うと、自分自身、期待と不安で妙にテンションが高い気分です。

2009年8月10日月曜日

予定日ですが

今日8月10日がウチの子が産まれるはずの予定日だったのですが、いま現在(夜10時半)のところ全く兆候なしです。自分もここ数日は今か今かという思いで待っていたのですが、気配すらありません。一応、12日(水曜)時点で陣痛がなければ、9時の検診からそのまま入院、陣痛促進剤で様子を見て、それでも産まれなければ帝王切開という予定です。

というわけで、生まれる気配がまったく無かったので、今日は少し遠出をしてお昼を食べに行ってきました。ベストランドというビジネスホテルのレストランなのですが、前菜にサラダ・スープにメインがスカンピのトマトクリームパスタで、ドルチェとコーヒーまで付いて、なんと1,380円(これは平日限定ランチのようですが、通常ランチでも1,500円くらい)。駐車場が多少分かりにくいものの、味・値段・雰囲気もよかったです。

わざわざこのホテルのレストランまで行ったのは、9月にお宮参りをするときに両親・祖父母まで含めて遠くからやってくるので、その宿泊にどうかなと下見のつもりでした。街自体ができたばかりのためホテルもきれいで、ホームページによるとトイレ・バスが分かれていたりベッドが広かったり非常にいいのですが、ウチからは自動車で40~50分程度掛かるのでお年寄りには少し遠いかな。出産後に両親だけこちらに来るので、そのときにでも相談してみようと思います。

2009年8月3日月曜日

決戦前夜

オクさんの出産予定日までちょうど1週間になりました。今日も会社で携帯が鳴りやしないかと思っていましたが、今のところ何事もなく1日が過ぎ、オクさんに聞いても陣痛が来る気配も全然無いようです。

一応会社のほうにも、来週オクさんが出産を控えているので急遽休むことがあるかもと通知し、これで準備万端です。いよいよ決戦といったところ。